本作の舞台 谷根千は寺町文化が色濃く、江戸時代からの名残も残っています。
谷中銀座という商店街に行けば、より下町文化が色濃く、昔から谷根千の台所として存在していました。
まだまだメジャーではないエリアで、東京に住んでいる方でも知らない方は多いです。
この魅力をわたしは微力でも伝えていけたらとの想いでこの記事を書いています。
今回は谷根千に住むわたしがお薦めする、谷根千が舞台の直木賞受賞作品です。
さすがに直木賞を受賞されただけあって、いくつもの短編が連なり伏線回収されていく様はテンポよく、小気味いいものでした。
本作品は時代小説で江戸時代の谷根千の文化や暮らしぶりがわかって、現代との比較も興味深いものです。
読後、まず思ったのは時代が変わろうとも人のたゆたう心に変わりなし、ということです。
人の心の移ろいは、いつの時代であってもそう変わるものでもないという感想に帰結しました。
太古の哲学書を読んでも同じ思いになります。
それだけ、人間の魂は時代が変わってもそう変わるものでもないのかもしれません。
心淋うらさびし川とは
タイトル 心淋し川
著者 西條 奈加
刊行年 2020年
受賞歴 第164回 直木賞
あらすじ
江戸、千駄木町の一角に流れる「心淋し川(うらさびしがわ)」。その小さく淀んだ川のどん詰まりに建ち並ぶ、古びた長屋に暮らす人々が物語の主人公です。
集英社より
決して豊かな暮らし向きと言えない生活の中にも希望の灯が見えるのはなぜか?
大名家の生活用水が垂れ流されて、できた小さなどぶ川に集う人々の暮らしは、決して楽なものではありません。
自分たちで勝手に建てた小屋が連なってできあがり、長屋の様相を呈していく。
そこに集う人々は訳ありの人々ばかり。
そんな人たちが主人公の物語です。
人の数だけ物語があります。
長屋に集う人々のいろんな物語は、哀しくも希望のあるものまで様々です。
人は希望なくしては生きられない生き物。
故に登場人物たちは、それぞれの明日を生きていくために心丈夫にしていくのでしょう。
その様子に読み手もきっと励まされることと思います。
本作を評価したポイント
評価したポイントの一つ目は、訳ありの人々が貧しいながらも希望または諦めにも似た気持ちを持ちつつ、最後には一切合切を受け止め、前向きに真摯に生きる様に勇気をもらえる点です。
わたしたちも普段の生活の中で本当に様々なことがあります。
良いことばかりが起きるのなら人生は思い通りかもしれませんが、現実は厳しく辛いこと、哀しいこと、腹の立つことなどこういった負の感情を呼び起こす出来事も起こりがちです。
それでもわたしたちは前を向いて生きていかなければなりません。
そのためにはどんな心持ちでいればいいのか、この小説がヒントになり得ると思いました。
評価したポイントの二つ目は、江戸時代の食文化や暮らしの様子がリアリティをもって描かれている点です。
さながら江戸グルメとも言うべき、つましい食材を活用してバリエーション豊富な食事の様子が現代の食生活にも通じるものがあって参考になりました。
作中、四文以内で食べられる「四文屋」という料理屋がでてきますが、そこでの食事が江戸の下町グルメという感じで実に美味しそうです。
「お、旨い!この漬け鮪は生姜が利いているね」
心淋し川より
「下魚だけに、冬とはいえ気を抜けやせんから。生姜は毒消しにもなりやすし、からだも温まりやす」
評価したポイントの三つめは、差配という町の世話役のようなことをしてくれる人物が要所要所でよい役回りをしてくれている点です。
この差配がいるからこそ、本作は連作短編と言っても短編同士の一連のまとまりがでているのだと思います。
要するに本作のキーマンです。
差配というだけあって岡裁きのようなこともしてくれ、それぞれの短編の主人公たちの前へ歩む背中をそっと押してくれる塩梅がいいのです。
実はこの差配自身にも事情があり、本作を読み進めるうちに差配自身の物語も進んでいきます。
本作の真の主人公はこの差配かもしれません。
まとめ
著者の西條奈加さんは、時代小説を得意とします。
細かい江戸時代の下町の暮らしぶりの描写は見事としか言いようがありません。
いつの時代も人は様々な事情を抱えながらも生き抜いています。
江戸の文化に沿って、人々のつつましい暮らしぶりを細やかな筆致で描き出している本作は、さすがの直木賞受賞作品です。
そして、いつの時代も人々の心理というものは、そう変わるものでもなく、現代人である、わたしたちにとっても共感できるお話ばかりです。
いま悩み苦しんでいる人であっても、必ずや希望の突破口は見つかる、そう思える良書でした。
きっと思い悩み苦しんでいるのは自分だけじゃない、そう思えるはずです。
だって人間だもの。
感情はさまざまに揺れ動きます。
それは、まるでたゆたう川の流れのように。
一方で本作に登場する地名や場所は、谷根千に慣れ親しんでいる者にとっては、かつてはこう呼ばれていたんだとか、あの場所は昔からこうなっていたんだとか、色々と比較して楽しみながら読めます。
いわば歴史小説の側面もありますね。
結論としては、本作の読後感はしみじみと沁みいるものでした。
時代小説が好きな方、谷根千にご関心のある方、いま思い悩み苦しんでいる方など是非、様々な方にお手に取っていただきたい作品です。
興味が湧いたら、ご一読ください。
ここまで、お読みいただき、ありがとうございました。